燕市議会 2019-03-07 03月07日-一般質問-03号
これ司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に詳しく書いてあります。これが1つ。 もう一つは、さきの大戦で大負けして、東京なんか全く焦土と化しまして、原爆も2発落とされました。そこからの復興は、やっぱり20年かからないで、昭和39年にさきの東京オリンピックともう一つ、同時に東海道新幹線の開通、これ20年弱です。明治がロシア戦争に勝つのは40年弱、明治維新から。昭和の東京オリンピックと新幹線開通は20年弱。
これ司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に詳しく書いてあります。これが1つ。 もう一つは、さきの大戦で大負けして、東京なんか全く焦土と化しまして、原爆も2発落とされました。そこからの復興は、やっぱり20年かからないで、昭和39年にさきの東京オリンピックともう一つ、同時に東海道新幹線の開通、これ20年弱です。明治がロシア戦争に勝つのは40年弱、明治維新から。昭和の東京オリンピックと新幹線開通は20年弱。
なるほど歴史のあるまちでございますし、「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟の生誕の地でございますし、歩いて非常に心地のいいまちだなというふうに思いました。そこを歩きながら私は、じゃあ大手通りや駅前はどうだろうかなと。
国民全体で坂の上の雲を目指してきた時代は終わり、坂の上にたどり着くことのできなかった人や途中で不慮の事故や病魔に襲われ、生活に困窮している人たちは余りに多く存在します。そういう人々を社会全体で支え合うということは近代の知恵であり、これこそがまさに行政の最大の責務でもあると思います。
自分の自慢をするわけじゃありませんが、私も7年前の12月議会一般質問で愛媛県松山市の「坂の上の雲」フィールドミュージアムの例を挙げながらこの謙信フィールド・ミュージアム構想を訴えさせていただいたことがございますが、今回この策定については内容も少し読みましたけれども、大変うれしく思いました。
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」という小説があります。NHKで3年にわたり放映されましたが、ごらんになった方も多いと思います。冒頭に俳優の渡辺謙さんのナレーションが流れます。まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば300年の間読書階級であった旧士族しかなかった。
これは、司馬遼太郎さんの、坂の上の雲の冒頭であります。市長、大好きな本であります。先ほど、市長がですね、基本構想の中で、時代の潮流と、グローバル化と、変革と自立という言葉をおっしゃいましたけれども、今から百数十年前、混迷の中の日本、新しい国づくりに乗り出したわけであります。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で、あくまでも正面突破に固執し、203高地を攻めあぐねていた乃木希典。作戦の変更を迫り、それを反対する声に対し児玉源太郎が口にした言葉が「戦争は、今作戦の変更を命じておるんじゃ」です。その言葉をかりれば、「市民は、今政治手法の変更を求めておるんじゃ」ではないかと思うんですが。
今週19日のNHKテレビ「坂の上の雲」がございました。市長もごらんになられたかとも思います。今回はコサック騎兵が登場し、ドラマの中で史上最強の騎兵とナレーターしておりました。日本騎兵がこの世界最強のコサック騎兵と満州の野において、また黒竜江、奉天の会戦において、勝たないまでも互角に渡り合えたのはなぜか。ひとえに日本騎兵がいつのときも必ず軽機関銃を引いて移動し、戦いのたびに使用したからであります。
先日NHKのテレビドラマ龍馬伝が終わりまして、またやはりこれからちょうど動乱の時期にかかった日本の物語をやるわけでありますけれども、ああいう日本の国がかつて私たちの先輩が坂の上の雲のあのリーダーの人たちの生き方、龍馬の生き方、何か今の時代にやっぱりああいうリーダーが出てほしいなというような感じが国民はしているんでないでしょうか、私はそのように思えてなりません。
しかし、果たしてオリジナルナンバープレート、これ自体が地域イメージ、そういったことに役立つのかという観点でちょっと質問しますが、現在いろいろな地域でそれぞれ地域イメージを生かしたオリジナルナンバープレートを作製する自治体がふえてきているのは承知していますが、特に「坂の上の雲」を軸としたまちづくりを進める愛媛県松山市の雲の形をイメージしたナンバープレート、また長野県上田市の信州上田の城下町をイメージした
「坂の上の雲」の時代、日本陸軍第13師団、高田入城。高田公園の桜は、それを記念して在郷軍人会の人たちが寄附を募り、師団司令部に明治42年3月にソメイヨシノの苗2,200本を植えたのが始まりです。それが今、日本3大夜桜、百万人高田観桜会となり、ことしは85回目となります。
愛媛県松山市には有名な施設「坂の上の雲ミュージアム」がありますが、御案内のように司馬遼太郎の「坂の上の雲」にちなんでの松山市の秋山好古、真之兄弟と正岡子規を核にして、松山を売り込む施設であり、多くの観光客でにぎわっています。この坂の上の雲フィールドミュージアム構想の一環としてでき上がった拠点施設でもあります。
かつて日本はですね、市長の愛読書は「坂の上の雲」ですか、議場で紹介したこともありますけど、日露戦争のときに勝因となったバッテリー、島津源蔵さんがつくったバッテリー、今でも皆さんの車に乗ってるユアサGSバッテリー、GSは、源蔵島津の略ですけど、世界に冠たる技術を持っていた。これからまた、もう1回、日本はですね、2次電池の技術で世界を冠しようとしています。
ことし私ども視察に訪れた松山市では、司馬遼太郎の「坂の上の雲」をもとに、坂の上の雲フィールドミュージアム構想を掲げてまちづくりに取り組んでいますが、夏目漱石や道後温泉などもその構想の中に組み込まれており、当市にあっても謙信に特化した構想とはいえ、謙信以外のすべてを網羅してもいいわけですので、何の抵抗もないものと思います。
愛読書、これは、いろいろありますが、一応、公には司馬遼太郎の「坂の上の雲」と池波正太郎の「鬼平犯科帳」ということにしております。(発言する者あり)いやいや、音楽は、ジャンルが大変多いですが、比較的、歌謡曲が好きだということにしておきまして、クラシックならグリーグのピアノ協奏曲であります。芸術については、この辺で御勘弁をいただきたいというところであります。
例えば松山市は坂の上の雲でまちおこしということで、これは多分中心市街地の活性化の第1号だというふうに思うんですが、そんなことを想記しながら3月議会で、人材の城づくり、あるいは「明日の神話」の展示というような問題提起もさせていただきました。
千歳市:農業施策に関する調査 (2) 派遣期間 平成17年10月18日から10月20日まで(3日間) (3) 派遣議員 矢野一夫、杉本輝榮、伊佐文也、松井一男、桑原 望、勢能節朗、石橋幸男、五十嵐清光、小山 忠、細山隆朋(10人) 4 建設委員会行政視察 (1) 派遣場所及び目的 淡路市:北淡震災記念公園に関する調査 新居浜市:都市計画マスタープランに関する調査 松山市:「坂の上の雲
会田市長の愛読の書は、坂の上の雲と、こう覚えておりますが、坂の上の雲の内容も学校で習わないと。日露戦争がどういう意義があったかというと、有色人種が初めて白色人種に勝った日でありますし、当時、ニコライ2世は、日本を称して、こう言ってますね。議事録に、こう残っています。日本は「マカーキの国」、これはロシア語で日本の言い方すると、猿でも下の方なので、いってみれば、要は、エテ公でございます。
司馬遼太郎の「龍馬がゆく」とか「坂の上の雲」がいいと思ってます。 教員志望の大学生300人のアンケート調査によれば、昨年神戸で起きた酒鬼薔薇事件の犯行声明に書かれていた「透明な存在であるボク」、「国籍がない」などの言葉に、とても共感できるが3%、一部共感できるが32%、共感できないが26%、わからないが39%という驚くような数字がありました。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではありませんが、この日本という国の形をつくり上げることに国民全体が共通した夢を持って努力した明治の時代もありました。また、太平洋戦争後の荒廃した社会経済情勢の中で、官が民を引っ張って高度経済成長路線により今日の経済大国日本をつくり上げたことも歴史の事実であります。